日本に向けて

− 日本に向けて −



SFOのロビーで一夜を明かすことに。朝5時くらいに目が覚める。意外に寝れた。


7時位になって、ユナイテッドのチェックインを行うことにする。
今日は絶対ミスできないので、早く済ませておこうと思って。カウンターへ行く。


「OSAKAは8時からです。」とつきかえされる。



昨日もそうだったが、ユナイテッドのカウンターの人達はなんか冷たい感じがする。
8時にもう一度カウンターへ行く。さっきと同じ人だ。いろいろと聞いてくる。
バゲッジの控えを見せると理解してくれた。


「あなたは昨日のフライトに乗遅れましたね。わかりました。」


みたいなことを言っている。そしてボーディングチケットが発行された。
よかったこれで日本に帰れそうだ。


しかし出発まで5時間近くもある。とりあえずゲートまで行く。
当然まだ誰もいない。またのんびりとここで待つことに。


時間が近づくにつれ、この便に乗る人達がゲートロビーに集まってきた。日本人が多い。
日本に帰る便なんだという実感がわいてくる。


そして12時過ぎに飛行機に乗り込むことができた。
これで今回のアメリカ旅行がほぼ終わったという感じだ。


乗っている時間がなんだか短く感じた。SFOで待っていた時間に比べれば、楽なものだった。


11時間半後、関空に到着。日時は8月15日(月)16時。


預けていたバゲッジも問題なく受け取れた。
乗遅れたのに、何で荷物もきちんと乗遅れているんだろう?
もしかして、予定通り乗っていたら、バゲッジは1日送れだったとか・・・?


日本についてホントに安心した。たった10日間だったけど、久しぶりな感じがした。


これで、本当にアメリカ旅行が終わりました。




− とりあえず、振り返って −


今回のアメリカ旅行を振り返る。本当にいろいろなことがあった。
海外へ出ることが初めての僕にとってはわからなことだらけであった。
と同時にほんと未熟なんだぁと実感した。根本的にわかってないこともあり、
それは、チケットを発行するとき、飛行機を乗る時、乗り継ぎする時・・・
そんなところで少しばかりの苦労をした。


でも、今回いろいろ失敗したことで、よくわかったことが多い。
これらのことは次回につなげていきたいと思う。



アメリカのトレール −


今回の旅の第一の目的である「アメリカのトレールを走る」ということだが、
アメリカのトレールに関して、先入観をもっていたなぁと思った。


まず、地域によってアメリカでも雨はたくさん降る → マッドなコンディションが多い。
スムースなコースが多いわけでなく、地域によるが、岩やガレたコースも多い。
日本との違いは、コース長が長い。MTBで走れるコースがお腹いっぱいになるまで続く、そんな感じだ。


高地なので気候は涼しく、走っていて気持ちいい。
そして、ライダー達のMTBを乗る姿勢は、本当にみんな楽しんで乗っている。
彼らはレースにも出ているが、毎日の走りは練習だという意識ではないように思える。
ただ楽しんでいるだけといった感じがする。
僕もそんなスタイルが好きだ。


フラッグスタッフについてだが、ライダーのシングルスピード率が高い。
日本では、「アメリカのコースはシンプルなので、シングルスピードでもいける」と聞いていたが、
コースは関係ないことがわかった。フラッグスタッフはロックセクションが多く非常にテクニカルだからだ。
Steveはそれでもシングルスピードで登っていた。


アメリカ人はシンプル好きなようだ。またそれの方が、ロックセクションでのトラブルが少ない。
現に僕のバイクは岩にディレイラーがヒットし、ディレイラーとエンドがもげるというトラブルに陥った。
シングルスピードは試してみたいと思うが、ポジション、乗り方が違う。
ハンドルは高く、ワイドである。上半身をかなり使わなければならないようだ。


今回のトレールで一番面白かったのは、フラッグスタッフの2日目のトレールだ。
テクニカルなコースだった。Steveの後についていくのが楽しかった。
Steveのライディングスタイルもいい。


Steveが言っていたが、「あれこれ言うまえにまず乗れ。」僕もそう思う。
これからもたくさんのトレールを走りたいと思う。


トレールに関して大阪のトレールと違うことはコースが高地にあるということだ。
フラッグスタッフでは2000〜3000m、デュランゴでは3000mを越えた。
こんなところで走っていれば、心肺機能は高くなるだろう。うらやましい。


高地でちゃんと走れるだろうか心配であったが、最初は苦しいもののじきに慣れた。
そして広大なコースをめいいっぱい走ることができた。
それは今まで日本で走ってきたからこそできたことであったと思う。
今までクロカンをしてきて良かった。




− 言葉の問題 −

はっきり言って、ほとんどしゃべれなかった。なにも勉強していかなかったので当たり前であるが。
とはいうものの、緊急事態発生時は、身振り手振りで何とかできた。
とりあえず、その状態から脱することはできる。
しかしそこから先の交渉等ができない。

当たり前だが、アメリカに来るにはもう少し英語が話せないと困る。



アメリカの生活 −

食事は、はっきり言ってあわなかった。日本では普段、油っこいものはほとんど食べない。
量も、炭水化物はよく食べるが、肉類はあまり多く食べない。


アメリカでは、そのできないことがメインであった。肉は多い、味も濃い、油っこい、量が多い。
いつも残していた。ご飯がきちんと食べられないということが、
これほどまでにつらいこととは・・・。

− 最後に −

今回のアメリカの旅は、最高のことと、最悪なことを一度に味わったすごい旅であった。
最高のことはもう一度、最悪のことは2度と味わうまい。


また今回この旅を誘っていただいたT氏、また、一緒に同行して頂いたY氏にはたいへんお世話になりました。
このお二方なしでは、到底この旅はできなかったと思っております。


この場をお借り致しまして、御礼申し上げます。